最近のもの

「樽」はミステリの古典で1920年に出版されたもの。ロンドンで発見された女性の死体入りの樽を巡り、英仏両国の警察、弁護士、弁護士に依頼された私立探偵が捜査を行う。早い段階で犯人候補が2人にしぼられるが、お互いのアリバイや有利な証拠が次々に出てくるのでどんでん返しが続き、最後にアリバイ崩しが行われる。古典だが今読んでも面白い内容。時刻表ミステリの要素も含まれている。
島原の乱」は2005年の新書。圧政に苦しんだ圧倒的弱者の農民がキリシタンの旗の下に殉教したイメージがあるが、これを読むと、キリシタンも周囲に改宗を強制したり、神社仏閣に火をつけたり僧侶を殺害したりしている。また、一度キリシタンを捨てたが、改めてキリシタンに戻る「立ち帰り」が同時期に発生し、それが連携してある種の宗教戦争に突き進んでいったことがわかる。その背景には、もともと島原天草がキリシタン大名の領地で、そこでもともとその他の宗派に対する攻撃がなされていたことがあり、その時期に青年だった人たちがまた当時を取り戻したいと思うようになり、飢饉や圧政が立ち上がるきっかけになったようだ。原城では1人残らず皆殺しになったというイメージが強いが、実際はかなりの数の事前の脱出があり、それに乗じたお互いによるスパイ活動もあったらしい。
最近幕末ものが多いので、関連して、昔読みかけていて10巻くらいで挫折した「遠い崖」をまた読み始めた。宮城県にいたときに萬葉堂で全14冊を購入したもの。
「遠い崖1」はサトウが日本に旅立ってから、現地で薩英戦争となる鹿児島へ向けて横浜を出向するまで。この時代はまだサトウは通訳生であり、イギリス外務省の領事部門でもっとも地位が低かったが、日本語を意欲的に学んでいたようだ。来日する前に上海北京で漢字を少しの間学んでいたそうだが、語学の才がもともとあったのではないか。まだ若かったのも有利に働いたのだろう。イギリス公使館のなかでサトウの立ち位置がまだ大きくないので、サトウの日記も紹介されてはいるものの、同僚のウィリスや、公使代理のニール中佐の行動などに多く触れられている。
「遠い崖2」は薩英戦争、下関戦争と、下関戦争の責によりオールコックが召喚されるまで。当時のイギリスと日本との間には電信が通じておらず、文書のやり取りにおよそ4か月を要していた。そのため、下関に連合艦隊が行く旨の報告がイギリス本国に送られ、それに対して中止の命令が日本に届くまでの間に、下関戦争は終わってしまっており、またその影響を受けて幕府とのやり取りも大きく進展していた。また中止の命令に続いて召喚命令も届いたため、オールコックは帰国の途についたが、実際の下関戦争の様子が本国へ伝わった後には、下関戦争に対して抑制的だった本国の評価は一変していた。この巻では、サトウは下関戦争の日記を日本語で書いたり、伊藤博文との文通を試みていたりと、徐々にその存在感が大きくなってきている。
「遠い崖3」はパークスが来日してからの幕府との交渉、鹿児島への来訪、その帰りに勃発した第二次長州征討まで。パークスは来日時はまだ37歳。鹿児島行きはサトウは同行していないので、この巻ではパークスの行動が主に取り上げられている。サトウの関係は、英国策論をジャパンタイムスに発表すること、その内容の紹介。上司であるパークスの幕府を一定程度カウンターパートとする考えと、英国策論の諸侯連合を相手とすべきというサトウの考えは明らかに不一致。無署名で発表されたとはいえ、パークスがどう思っていたのか気になるが、本国への報告類ではまったく触れられていないらしい。
「遠い崖4」は第二次長州征討で幕府が苦戦するなか、将軍が没して徳川慶喜が最後の将軍になり、慶喜と外国使節団が対面するまで。慶喜に面会したパークスはその人間的魅力にとりつかれている。パークスとロッシュの考え方の違いが面白い。その背景には、サトウやシーボルト、アリソンのように日本語を使える部下がおり、倒幕派も含めて複数方面からの情報を入手できるイギリス公使と、通訳も幕臣に頼らざるを得ず、情報源が限られているフランス公使との違いがある。サトウは、外国使節団との対面の露払いとして事前に大阪に行った際にも、薩摩藩士に会ったあとに佐幕派会津藩士とも交流したり、その交流範囲をどんどん拡げている。また、事前に慶喜と単独会見したロッシュに対し、パークスが、フランスと朝鮮との戦争に幕府兵を使わせることを意図していると曲解しているのも興味深い。