最近のもの

アメリカン・ウォー」は、21世紀後半、温暖化による水位上昇の影響で衰退したアメリカでの第二次南北戦争をめぐる小説。アメリカで化石燃料の使用禁止を法制化した際、それに反発する南部諸州が独立を宣言して南北戦争が起き、優位な北部に対して南部は自爆テロなどで対抗するという設定で、南部には難民キャンプもあったり、様々な武装集団が乱立したりと、今の中東で起きていることが、そのまま南部に写されている。また、分裂したアメリカとは逆に、モロッコからカスピ海にかけてはブアジジ帝国なる新帝国(オスマントルコの再来のようなものか。)が発足しており、ここが南部を支援していて、暗にアメリカの内戦を通じた自国の影響力強化を狙っている。女主人公は南北戦争の影響で両親をなくし、武装勢力の一員として一匹狼的にテロを続けるも、北部に捕まり収容所で拷問を受け人格が変わってしまうという設定で、南部の降伏に伴って釈放された後も、北部に一矢報いるためにバイオテロを仕掛けることになる。このように、設定は興味深いが、正直、ストーリーとしては面白いわけでもなく、救いようがない小説という印象。
幕臣たちの明治維新」は、以前読んだ中公新書とテーマが似ているが、こちらはより明治維新後の具体的な事例を取り上げている。特に、山本政恒という静岡藩についていった後に群馬県庁に勤めた元御家人の記録を取り上げている。また、明治22年に開かれた東京開市三百年祭についても取り上げられていて、徳川家康入府から300周年を、東京開市という名目で祝った旧幕臣たちの動きがよく分かる。新政府の高官になっていた榎本武揚を委員長として担ぐことによって半ば政府公認のイベントとなり、実質は徳川の治世を懐かしんで祝ったらしい。また、旧幕臣たちがつくった会はいずれも高齢化により自然消滅したが、戦後、徳川宗家が日光にお参りする際のお供を目的として、幕臣の子孫たちの会が再結成されたというのも初めてしり興味深かった。
「遠い崖8」は、サトウが賜暇により一度帰国している間のこと、また帰ってから初期の明治政府との関わりを書いている。サトウが不在の間、ウィリスは新政府の大病院に1年契約で雇用されたが、新政府がイギリス医学ではなくプロシア医学を導入することになったこともあり、自ら辞職して薩摩藩に雇用されている。新政府に放逐されたウィリスを薩摩が拾ったという定説について、そう単純ではなく、解雇前から薩摩とウィリスが接触している様子なども紹介されている。サトウは帰国している間に賜暇を2度延長しているが、日本公使館は日本語の使い手がいなくなってとても困っていたようだ。サトウが日本に戻ってから間もなくパークスが賜暇で一時帰国するので、代理公使アダムスの活動が多く書かれている。
「遠い崖9」は岩倉使節団が出国して、アメリカからヨーロッパを回る様子。アメリカでは、当初使節団が想定していた条約改正の下交渉から本交渉に変わりそうになり、伊藤博文と大久保が急遽日本に戻って全権委任状を持って帰ることになるが、イギリスやプロイセンなどがそれを阻止しようと工作していることがよく分かる。アダムスがアメリカ経由で帰国する際に現地で岩倉や木戸と交渉し、片務的最恵国待遇の話などを持ち出して本交渉を断念させているが、岩倉たちがアダムスから聞くまで最恵国待遇のことを知らなかったというのも、当時の日本が置かれていた状況を物語るように思う。一方で、サトウは日光に行ったり冬の甲州街道を旅したり、灯台巡りをして京都、中山道をたどって東京へ帰ったりと、旅を続けており、日記にも政治的な事は書かれていない。幕末の刺激的な時期を過ごしたサトウにとってみれば、この時期の政治状況にはもうさほど関心がなかったのかもしれない。
「遠い崖10」は岩倉使節団が帰国した後のいわゆる明治六年政変を取り扱っており、特に西郷についての分析が多い。毛利敏彦の明治六年政変の研究を多く引用しながらも、それだけではなく著者自らの分析を多く書いている。曰く、西郷は明治維新ですでに「役割」を果たしきっており、維新後の新政府になじめずにいたが、朝鮮への使節という役割を見つけてそれに飛びついたのであり、そういう意味では征韓論者であるという。ただそれも、使節団から帰国した大久保と対立するに及んで徐々に関心が薄れ、最後は自ら辞表を出したのではないか、最後はもはや征韓論問題というより、「西郷問題」だったのではないかともいう。著者は、西郷の心理が、この時期のサトウの心理(日記には旅のことだけ書いており、政治状況にはほとんど触れていない)とも似通っているのではないかと指摘していて興味深い。また、鹿児島でのウィリスの動向についても触れられているが、同氏がイギリスへの手紙の中で鹿児島で結婚したことをひたすら隠しているのが不思議。ウィリスと大山県令の関係はかなり良かったようだ。