最近のもの

西南戦争西郷隆盛」は全3章。前の2章で西郷の生い立ち、明治維新を経て下野するまでを描き、最後の章で西南戦争を書いている。西南戦争は特に詳しく書かれていて、戦史の紹介の中に、最初の熊本城攻めのあとに夜襲をかけていたら熊本城は落とせていたとか、田原坂の戦いの初期の段階で薩軍がさらに前進していれば南関までいけたのではないかといったような記述も多い。
「忘れ得ぬ翼」は城山三郎の戦争小説の短編集でいずれも旧軍の軍用機が作品中で大きな役割を果たしている。多くの作品は、戦争中の描写と戦後にその人物がどのように暮らしているのかを織り交ぜながら書いているのが興味深い。新司偵ソ連に亡命しようとして果たせなかった見習士官とか、戦後ベトナムに残った少年兵とか、梓特攻隊の先導をした二式大艇の搭乗員とか、興味深い題材が多い。生き残ったものの戦友を多くなくした戦争帰り、特攻帰りが戦後社会とどのように折り合いをつけてくらしてきたのか、最初の作品の「大義の末」も同じ題材だし、城山三郎にとって大きなテーマだったのだろう。
「一歩の距離」も城山三郎の戦争小説だがこちらは中編。琵琶湖で予科練として訓練にいそしんでいた4人の少年を主人公にしていて、そのうち1人は特攻で戦死、1人は下士官から殴られて死亡、2人が戦後に生き残る。生き残った1人は、夜中に集められて特攻志望者は一歩前へと言われた際に踏み出せなかったことをずっと悔やみながら生きている。今でいえば中高生の年齢の少年が残酷な選択を迫られて追い詰められていく悲しい様子が書かれている。また、別の一編で実際の特攻隊の様子も描かれていて、海兵卒の隊長、学生出身の士官、たたき上げの士官のキャラクターの違いが書かれている。城山三郎の戦争小説はどれも何ともいえない気持ちにさせられる。
赤穂義士」は松の廊下の事件から実際の討ち入りまでを丁寧に追っているが、何分古い本なので、赤穂浪士を美化する視点、逆に途中で抜けた人は罵られる視点で全てつらぬかれている。戦国時代の武士文化と元禄時代の武士道は異なり、大石内蔵助は元禄ならではの理屈を通す武士道を体現しようとしたんだとか。大石内蔵助と何かあればすぐに斬り込みたい江戸組との対比も面白いが、様々な考えを持つ人たちを統率するためにいかにするべきか考えさせられる。綱吉が感情にまかせて松の廊下事件の処分をしたのと比較して、五代将軍綱吉との勝負に大石内蔵助は勝ったと書いている。
明治維新佐賀藩」は鍋島閑叟江藤新平が題材になっている。閑叟は長崎でオランダ船にのったりして洋学に関心を持ち、鉄製大砲を日本で唯一作れる藩を作り上げたが、京都で大言壮語してひんしゅくをかったことがあったんだとか。江藤新平については司法卿時代の功績がよく取り上げられるが、その前に一時的に在席していた文部省でも、国学漢学洋学論争に終止符を打つという後生の日本に大きな影響を及ぼすことをなし遂げている。著者の佐賀藩びいきがどこから出ているのか分からないが、閑叟と江藤が近代化に果たした役割は大きく、一般的に人気がある坂本高杉や、近藤勇、白虎隊などは端役だと末尾に書いているが、維新前に没した人たちと比べてもどうしようもない。ひいきが過ぎているのでは。
「沖縄決戦」は第三十二軍の参謀たちのなかで唯一生き残った著者が書いた手記で貴重。レイテ島の戦いの前後で第九師団を台湾に引き抜かれたために、それまで構想していた機動決戦を持久戦に切り替えざるを得なかったことはよく知られているが、第三十二軍は最初から沖縄の飛行場は保持するのが困難であるとして飛行場の破壊を進言していたものの、大本営に取り上げられなかったというのは初めてしった。一般に、第三十二軍は米軍上陸早々に飛行場を明け渡してしまったという言説がなされているが、もともとそのつもりで作戦を立てていたのに対し、方面軍や大本営がちゃんと対応していなかった面もあるようだ。読んでいて感じるのは軍隊といえども官僚組織で、参謀は洞窟の中でも決裁綴を離さなかったり、参謀長が朱筆で訂正をしたりしている。また、大本営から指示がなかなかなされないことを不満に思うものの積極的にコミュニケーションをとろうとはしていない。このあたりは今の日本の役所風土にも通じる。米軍上陸前から決めていた持久戦の方針を、途中で攻勢に切り替え、結果的に莫大な被害を被って持久戦にまた切り替えているあたりは、あらゆる組織が反面教師として受け止めなければいけないことだと思う。