最近のもの

「信長」は秋山駿の批評のような文章で、信長公紀などによりつつ、信長の一生を追っている。プルターク英雄伝やドゴール、デカルトなど様々な文献を引用しながら信長の心理を推測しているのが独特。初期の信長の状況を、ロベスピエールの革命政府の状況になぞらえたり、信長の軍隊を平民の軍隊として、平民の軍隊が士族を倒した西南戦争になぞらえたりもしている。同時代の他の武将と信長の違いがとても強調されていて、信長の戦争と従来の上杉武田の合戦とはまったく違うという。しかし、信長の残酷さにあえて目をつぶっているような気もする。
忠臣蔵」は50年以上前の岩波新書で、赤穂事件の流れを追った後、仮名手本忠臣蔵が成立した過程について説明している。事件の流れについては興味深く読んだが、その後それが人形浄瑠璃や歌舞伎の世界でどのように取り扱われ、半世紀ほどたって真打ちの仮名手本忠臣蔵が出てきた経緯についてはあまり関心が持てなかった。半世紀前の時点では、忠臣蔵はある種共通の常識としてみんなが知っていたのだろうが今の普及度はどうなのだろうか。昔の本なのでしきりに「封建体制の矛盾」というようなフレーズが出てくるがよく分からない。
陸軍中野学校」は最近発見された中野学校関係の公文書をもとに書かれたというのが売りで、中野学校の前身組織の創設から戦時中の動きまで紹介されている。神戸で中野学校の教官と学生が英国領事館を襲撃しようとした神戸事件や、卒業生で中国の国民党軍に捕まった後に反戦兵士となった人物など、一つ一つのエピソードは興味深いものの、全体としてはぶつぎりで読みづらい。
「白骨」はスウェーデンの犯罪心理捜査官セバスチャンシリーズの3作目。山中で見つかった複数の白骨の正体探しをめぐる捜査が題材で、アフガニスタンからの難民の失踪問題、アメリカが国外で行っている諜報活動もからめられている。セバスチャンと他の刑事との関係性もこの作品で大きく変化していて続編が気になる。複数の白骨は2つの家族だが、最初に身元が特定された夫婦が殺される必然性があまり感じられない。
「風と光と…」は坂口安吾の短編集で、10年ほど前に岩波文庫で全3冊でたものの1つ。この巻は自伝的な作品が多くまとめられている。本のタイトルにもなっている「風と光と二十の私と」は小学校の代用教員をしている時代の話で切なさのなかにそことなく牧歌的な雰囲気もあるが、後半は何人かの女性とのうらぶれた生活や複雑な関係を綴ったものが多い。ラディゲが死んだのは23歳だったということを気にしている描写があるが、自分も20代の頃、ラディゲとはいわないまでも吉田松陰とか特攻隊の年齢と自分の年齢を比べて嘆息することがあったことを思い出した。
「月と10セント」はアポロ11号の月面着陸前後にアメリカへ2度行った著者の紀行随筆。子どもの頃によく読んだ記憶がある。NASAの施設の前で月乞食としてふるまったり、躁病の時期の著者は手がつけられない印象だが、そういうなかに、月面着陸に熱狂するアメリカ、さらには日本メディアの中で、月面着陸を相対的な視線で見るようなことがさらりと書かれていたり、北杜夫は軽妙な文章だが奥が深い。
「王道」はインドシナの奥地に分け入っていき、昔の彫刻を盗掘するヨーロッパ人2人を題材にしている。湿度100%で虫がうごめく密林の感じがこれでもかと伝わってくる。主人公たちは一度原住民たちに捕まり殺されそうになるが、相手をだまして脱出する。話の筋がやや追いにくいが、熱帯の奥地に分け入っていくというテーマはコンラッドの闇の奥に似ている。
忘れられた巨人」は昨年出版された新作。昔のイギリスの老夫婦が息子を探して旅をする話だが、いろいろと伏線がはられていて徐々に明らかになっていく様子が面白い。題名になっている”忘れられた巨人”の正体が最後に明かされるところはぞくっとする。カズオ・イシグロの小説は読み応えがあって良い。