最近のもの

「太陽を曳く馬」は新リア王の続編で、三部作の最終作。前作では、最後に主人公の福澤彰之の息子が家出していったが、今作ではその息子が殺人事件を起こし、死刑判決を受けている。その事件を背景として、福澤彰之が代表を務めていた都内の一等地の寺院内での事故が、寺院内部の対立や、オウム真理教との関連も絡ませながら書かれている。合田刑事が登場しており、寺院内の事故について調査する過程で、寺院の僧侶と仏教論議を戦わせたりもしている。読み応えがあるが、内容はほとんど理解できなかった。

「頭上は海の村」は平成初期の大潟村の状況を描いたもの。著者は無明舎の現舎主で、大潟村の若手農家の知り合いのところにしばしば農作業の手伝いに行きながら、当時の村の様子をまとめている。当時は、1戸あたり15haが全て水田として認知された直後でそれまでの遵守派とヤミ米派との争いがやや落ち着いた頃だったようだ。村内ではあまりその手の話はしないとか、第何次入植であるかによって微妙に色合いが違うとか、興味深い話が続く。現在の大潟村の村長が、農業近代化ゼミナールの若手として登場している。

「兵役を拒否した日本人」は、戦前の灯台社の信者3人が行った兵役拒否について取り上げるとともに、灯台社の創始者の明石順三についても取り上げたもの。明石は、渡米後にものみの塔の教えに感銘を受け、日本で広げるために帰国して活動を行った。彼らは国内各地のみならず、台湾や朝鮮にも出かけていき、現地で生活しながら布教を行っていた。そして、明石の息子を含め3人が徴兵後に銃器返納を申告し、陸軍刑務所に送られている。それと前後して、灯台社本体も弾圧を受け、戦後まで明石含め関係者が投獄されることになる。明石の妻も獄死している。彼らの教義に同感するかはさておき、戦争中にこのような行動を貫いた人たちがいたということをもっと我々は知るべきだと思う。ところで、明石の息子は銃器返納を申告して刑に服するものの、そこで古事記などを読んで転向している。生まれたときから灯台社の社会に生きてきて、捕まってはじめてそのほかの世界を知り、自分で考えて転向したようだが、そういうこともあるのかと読みながら思った。

「乱」は幕末の動きを主に旧幕府側から描いたもの。著者の遺作でフランスの軍事顧問団のブリュネが主人公だが、箱館戦争の途中で著者死没のため未完となっている。そのため、ブリュネについて描かれているのは、彼が日本で描いたスケッチについて説明した部分と、江戸から脱走する前後となっている。松前藩における戊辰戦争の頃の尊皇派によるクーデターについて詳しく取り上げており、北方の蝦夷地でも血なまぐさい動きがあったことが分かる。また仙台藩でも、恭順派と佐幕派戊辰戦争終了後も争っていることが分かる。藩内の内紛といえば水戸藩が有名だが、仙台藩松前藩も同様だったようだ。

「第七の十字架」は、ナチ政権下のドイツで収容所から脱出した7人の囚人を描いた小説。著者はドイツの女性作家で共産党活動をしており、ナチスが政権を握った後にフランスへ亡命、さらにはメキシコへ亡命するなど、苦難の人生だったようだ。戦後は東ドイツに戻っている。戦争が始まってからの時期ではなく、まだナチスが政権を握って間もない頃が舞台になっているが、収容所の残忍さ、SAに協力する市民、逆に脱出者を助けようとする工場労働者など、様々な登場人物が臨場感豊かに書かれている。脱出者を助けようとすることで自分に降りかかる被害を考え逡巡する様子など生々しい。結局7人の囚人のうち、6人は捕まって処刑されるか捕まる前に死亡し、主人公1人だけが脱出に成功する。

「傍流の記者」は、新聞社の社会部の5人の記者と、元々は社会部のエースながら人事部に転身した1人の元記者の、同期6人の物語。新聞社内の選抜がどのように行われているのか興味深い。新人記者が地方回りを数年した後、本社に戻った際の所属先について、社会部や政治部などの各部からドラフト形式で選ばれることがあるなどリアリティがある。5人の記者それぞれも、地方新聞社で数年働いてから転職した人や、人事ネタにきわめて強い人など、それぞれのキャラクターがよく分かるように書かれており、その中の誰が社会部長に選ばれていくのかどきどきさせる。人名も地名も変えてあるが、今の総理や官房長官、また森友問題を彷彿とさせる描写も面白い。

最近のもの

三陸海岸津波」は、吉村昭が明治の津波、昭和の津波を書いたルポルタージュ。これが出たときには、東日本大震災のような津波がまた起こるとはだれも思わなかっただろう。震災の後に急遽増刷されていた。吉村は二度とこのような悲劇が起きないようにと思いながら書いたのだと思うが、残念ながらまた現実になってしまった。過去の災害を教育などの機会を通じながら社会全体で継承していくことが必要なのだろう。明治、昭和の津波とも、夜に津波が押し寄せてきており、昼間だった東日本大震災とはまた違った恐ろしさがあったのではないかと思わされる。
花岡事件」は、終戦直前に秋田の花岡鉱山で起きた事件を扱ったもの。秋田に引っ越してきたことを契機に手に取った。中国人労務者のまとめ役だった耿諄の目線で事件について書いている。耿諄は国民党軍の将校で、戦闘で捕虜になり連れてこられたそうだ。大森実の戦後秘史で花岡事件について読んだ記憶があるが、詳しくは知らなかった。劣悪な労働環境を少しでも改善しようと耿諄が鹿島と交渉するが、中国人の中にも内通者がいたり、なかなかうまくいかない様子がもどかしく感じる。決起したあとに捕らえられ、終戦後も引き続き収監されたままだった。今でも大館市では花岡事件の慰霊を毎年行っているが、日本人、秋田県民が忘れてはいけない事件だと思う。著者の野添さんは今年亡くなっている。
マタギ」は、秋田の阿仁のマタギである松橋時幸について書いたもの。若い頃、初めて狩りに出たときにクマに追いかけられ、木に登って難を逃れる様子が印象的。マタギといえば狩りを想像するが、川での魚取り、田畑での農作業を含め、狩りに限らず山での生活そのものを書いている。松橋の家は旅館で、そこに泊まる地質調査の学者やジャーナリストなどが、徐々に彼にひかれていくのも、人間的な魅力があったのだろう。
細雪」は7〜8年前に一度読んだ気がするが再読。以前読んだときは神戸水害の描写が印象的だった。今読むと、幸子の夫の貞之助がとる行動、特に雪子の見合いをめぐる行動が印象的。雪子の足の爪を妙子が切る場面や、姉妹そろっての京都での花見も印象的。戦前の日本のプチブルの暮らしぶりがうかがえて興味深い。女性を中心に書いているからかもしれないが、登場する人々がほとんど戦争の影響を受けていないのも、まだ太平洋戦争が始まっていない時期の様子をうかがわせる。
「ソ満国境1945」は、ソ連が参戦した太平洋戦争末期の満州の様子を書いている。虎頭要塞の戦闘だったり、学徒兵が爆雷で戦車に立ち向かったりする様子は身につまされる。また、満州航空パイロットが、終戦直後にまだ降伏しない日本軍の部隊を捜索するために飛んでいたことを初めて知った。著者の作品は初めて読んだが、よく整理されていて細かいエピソードもちりばめていて読みやすい。
「特攻兵」は、9回出撃してすべて生還した陸軍伍長、佐々木さんへのインタビューを基にしたもの。佐々木さんはレイテ戦記にも取り上げられていたそうで、引用部分を読むと確かに以前読んだ気がするが関連づけて覚えていなかった。当時の状況下で周囲の圧力の中、生還し続けたことは素直にすごいと思う。フィリピン戦末期には搭乗機がなくなり、フィリピンの山中で生活している。命中率が著しく落ちた沖縄戦で特攻がなぜ継続されたのかという問いに対して、国民への宣伝効果が高く戦争継続に有効だったからという答えを導いている。
「12ヶ月」は、著者が各月ごとの鉄道旅行の楽しみ方をまとめた本。国鉄時代のものなので、夜行で夜のうちに現地に到着することを前提とした記述が多く、今読むと面白い。今やサンライズしか夜行がないが、なくなる前に一度は乗ってみたい。
「軌道」は、福知山線脱線事故で家族を亡くした被害者の一人である浅野さんの目線にたち、事故について書いたもの。事故の原因究明に取り組むために様々なアプローチでJR西日本へ働きかける様子が胸を打つ。また、JR西日本側でも、それに何とか答えようとする社員もいるものの、全体としては冷たい対応になってしまうが、徐々にそれが改善されていく。JR西日本天皇といわれた井出氏にもインタビューしており、片方に寄り添いながらも双方の主張を紹介する著者の目線には好感が持てる。当時、自分が仮にJR西日本の社員で対応をしたとしたら、どういう行動、立ち振る舞いができただろうかと考えさせられる。
「新リア王」は福澤シリーズの第2弾で晴子情歌の次の作品。晴子情歌は5年ほど前に文庫になったものの、いっこうにそれ以降の作品が文庫化されないので、今回単行本で読んだ。老政治家の父が僧になった息子の住む青森県木造の寺までやってきて、数日間ひたすら対話するが、息子は仏教について語り、父は80年代の青森の政治史について語る。終盤では、登場人物が多く寺に集まって、そこで前年に秘書が自殺した背景事情を語るのだが、そこで少しずつ事情が明らかになっていくのがミステリーを読んでいるようでぞくぞくする。大勢が集まって自由にひたすら発言するのはドストエフスキーの小説を彷彿とさせる。

8/18-19宮城岩手

土日を利用して、宮城岩手の沿岸付近のまだ乗ったことがない路線を中心に回ってきた。

  • 1日目

0554秋田→0843新庄
1001新庄→1209小牛田
1248小牛田→1319国府多賀城
1345国府多賀城→1347塩釜
1450本塩釜→1546石巻
1718石巻→1744女川
1752女川→1910小牛田
1954小牛田→2041一ノ関

宮城まで一番早いのは北上線経由だが、陸羽東線を目的に新庄経由。新庄では最上公園を回ったあとに見た、図書館にあるカヤの巨木が印象的だった。
その後、国府多賀城まで移動して100名城のスタンプを押す。駅からそれなりに距離があり、案内も不十分な印象だったが、30分でぎりぎり往復可能。ただ、多賀城跡をしっかり見ようとすればもっと時間が必要。車での来場が前提なんだと思うが、駅からの経路も案内などもっとしっかりするといいと思う。
その後、塩釜で鹽竈神社にお参りし、金足農業の必勝を祈願した後、仙石線本塩釜駅から石巻に移動した。鹽竈神社の本道の階段はものすごく急でひざががくがく。石巻では、丸い形が印象的な石ノ森萬画館をみた。その隣の橋は、震災で落ちた橋で工事が大詰めだった。ただ、このころから金足農業の近江戦が始まり、ラジオで聞きはじめたので正直観光どころではなくなった。
その状態のまま女川へ移動するも、そのままUターン。女川駅前にはカラフルなコンテナハウスが並んでいて、後で調べるとホテルになっているらしい。ちょうどそのころにサヨナラツーランスクイズ
この日は小牛田経由で一ノ関へ移動した。

  • 2日目

0559一ノ関→0725気仙沼
0729気仙沼→0837盛(BRT)
0913盛→1006釜石(三陸鉄道
1055釜石→1241遠野(SL銀河)
1306遠野→1407花巻
1435花巻→1515盛岡
1606盛岡→1803鹿角花輪
2213鹿角花輪→0105秋田(花輪ばやし2号)

朝一で気仙沼まで移動したあと、はじめてBRTに乗った。BRTは要はバスだが、所々で専用道を走り、鉄道時代のトンネルを通るのが興味深かった。朝早い便だったが地元の人の利用もそれなりにある様子だった。
その後三陸鉄道で釜石に。釜石ではサン・フィッシュ釜石という駅前の施設が有名のようだが、日曜の朝だったからかもしれないが期待外れ感が否めなかった。そのため、早めに切り上げてSL銀河に乗車した。SL銀河は、花巻から釜石へ向かう便よりは、釜石から花巻方面のほうが空いているようだ。デザインにも力が入っており、車内販売も充実しているし車掌さんの案内も丁寧で、またぜひ乗りたい。
その後、盛岡経由で鹿角花輪へ移動し、ちょうどこの日の花輪ばやしを見学。大きな屋台が駅前に10台集まるのは壮観だった。

最近のもの

田原坂」は古典的名作で中公文庫で復刊されたもの。西南戦争の起こりから熊本城が解放されるまでの西南戦争前半を主に書いている。特に官軍の描写に詳しい。西南戦争の後半にも取りかかろうとして結局果たせなかったそうだが、もし書かれていたらどうなっていたか。田原坂は、官軍の砲兵が進むことができる唯一の道で、ほかの道を選ぶことはできず激戦は必至だったとか、初期に実は乃木部隊が田原坂を確保していたものの、稚拙な作戦指導でそこを放棄していたとか、勉強になる。
「稲の日本史」は考古学的な視点から日本の稲作をたどったもの。粗放的狩猟社会の縄文、稲作社会の弥生という単純な二分法に異を唱えている。特に、弥生時代になった瞬間に黄金の稲穂の世界になったというこれまでのイメージには批判的で、出土する弥生時代の稲は様々な種類が混ざっており、東南アジアの焼き畑農業と同じような形で、日本で通常イメージされるような稲作ではないんだとか。
「ティンカー…」は古典の名作だが翻訳の問題なのかとにかく読みにくい。原文がもともと読みづらいのだと思うが、新訳だというのに読んでいてすごくつっかかる。時制がいつの間にか変化していたり場面が変わっていたりと混乱させられる。
「シンパサイザー」は、ベトナム戦争で南軍の将軍とともにアメリカへ脱出した主人公である南軍将校が、実は北側のスパイだという設定がまず興味深い。アメリカへ脱出した主人公を含む南軍将兵が、母国を奪還するためにタイから再度侵入しようとして北側に捕まり、主人公の友人である北側の情報将校に尋問されるのだが、そのあたりからだんだん話の流れがよくわからなくなってくる。
「少女」は犯罪心理捜査官シリーズの第4弾。相変わらず面白いが主人公にはほぼ感情移入できないところも相変わらず。

最近のもの

「信長」は秋山駿の批評のような文章で、信長公紀などによりつつ、信長の一生を追っている。プルターク英雄伝やドゴール、デカルトなど様々な文献を引用しながら信長の心理を推測しているのが独特。初期の信長の状況を、ロベスピエールの革命政府の状況になぞらえたり、信長の軍隊を平民の軍隊として、平民の軍隊が士族を倒した西南戦争になぞらえたりもしている。同時代の他の武将と信長の違いがとても強調されていて、信長の戦争と従来の上杉武田の合戦とはまったく違うという。しかし、信長の残酷さにあえて目をつぶっているような気もする。
忠臣蔵」は50年以上前の岩波新書で、赤穂事件の流れを追った後、仮名手本忠臣蔵が成立した過程について説明している。事件の流れについては興味深く読んだが、その後それが人形浄瑠璃や歌舞伎の世界でどのように取り扱われ、半世紀ほどたって真打ちの仮名手本忠臣蔵が出てきた経緯についてはあまり関心が持てなかった。半世紀前の時点では、忠臣蔵はある種共通の常識としてみんなが知っていたのだろうが今の普及度はどうなのだろうか。昔の本なのでしきりに「封建体制の矛盾」というようなフレーズが出てくるがよく分からない。
陸軍中野学校」は最近発見された中野学校関係の公文書をもとに書かれたというのが売りで、中野学校の前身組織の創設から戦時中の動きまで紹介されている。神戸で中野学校の教官と学生が英国領事館を襲撃しようとした神戸事件や、卒業生で中国の国民党軍に捕まった後に反戦兵士となった人物など、一つ一つのエピソードは興味深いものの、全体としてはぶつぎりで読みづらい。
「白骨」はスウェーデンの犯罪心理捜査官セバスチャンシリーズの3作目。山中で見つかった複数の白骨の正体探しをめぐる捜査が題材で、アフガニスタンからの難民の失踪問題、アメリカが国外で行っている諜報活動もからめられている。セバスチャンと他の刑事との関係性もこの作品で大きく変化していて続編が気になる。複数の白骨は2つの家族だが、最初に身元が特定された夫婦が殺される必然性があまり感じられない。
「風と光と…」は坂口安吾の短編集で、10年ほど前に岩波文庫で全3冊でたものの1つ。この巻は自伝的な作品が多くまとめられている。本のタイトルにもなっている「風と光と二十の私と」は小学校の代用教員をしている時代の話で切なさのなかにそことなく牧歌的な雰囲気もあるが、後半は何人かの女性とのうらぶれた生活や複雑な関係を綴ったものが多い。ラディゲが死んだのは23歳だったということを気にしている描写があるが、自分も20代の頃、ラディゲとはいわないまでも吉田松陰とか特攻隊の年齢と自分の年齢を比べて嘆息することがあったことを思い出した。
「月と10セント」はアポロ11号の月面着陸前後にアメリカへ2度行った著者の紀行随筆。子どもの頃によく読んだ記憶がある。NASAの施設の前で月乞食としてふるまったり、躁病の時期の著者は手がつけられない印象だが、そういうなかに、月面着陸に熱狂するアメリカ、さらには日本メディアの中で、月面着陸を相対的な視線で見るようなことがさらりと書かれていたり、北杜夫は軽妙な文章だが奥が深い。
「王道」はインドシナの奥地に分け入っていき、昔の彫刻を盗掘するヨーロッパ人2人を題材にしている。湿度100%で虫がうごめく密林の感じがこれでもかと伝わってくる。主人公たちは一度原住民たちに捕まり殺されそうになるが、相手をだまして脱出する。話の筋がやや追いにくいが、熱帯の奥地に分け入っていくというテーマはコンラッドの闇の奥に似ている。
忘れられた巨人」は昨年出版された新作。昔のイギリスの老夫婦が息子を探して旅をする話だが、いろいろと伏線がはられていて徐々に明らかになっていく様子が面白い。題名になっている”忘れられた巨人”の正体が最後に明かされるところはぞくっとする。カズオ・イシグロの小説は読み応えがあって良い。

最近のもの

西南戦争西郷隆盛」は全3章。前の2章で西郷の生い立ち、明治維新を経て下野するまでを描き、最後の章で西南戦争を書いている。西南戦争は特に詳しく書かれていて、戦史の紹介の中に、最初の熊本城攻めのあとに夜襲をかけていたら熊本城は落とせていたとか、田原坂の戦いの初期の段階で薩軍がさらに前進していれば南関までいけたのではないかといったような記述も多い。
「忘れ得ぬ翼」は城山三郎の戦争小説の短編集でいずれも旧軍の軍用機が作品中で大きな役割を果たしている。多くの作品は、戦争中の描写と戦後にその人物がどのように暮らしているのかを織り交ぜながら書いているのが興味深い。新司偵ソ連に亡命しようとして果たせなかった見習士官とか、戦後ベトナムに残った少年兵とか、梓特攻隊の先導をした二式大艇の搭乗員とか、興味深い題材が多い。生き残ったものの戦友を多くなくした戦争帰り、特攻帰りが戦後社会とどのように折り合いをつけてくらしてきたのか、最初の作品の「大義の末」も同じ題材だし、城山三郎にとって大きなテーマだったのだろう。
「一歩の距離」も城山三郎の戦争小説だがこちらは中編。琵琶湖で予科練として訓練にいそしんでいた4人の少年を主人公にしていて、そのうち1人は特攻で戦死、1人は下士官から殴られて死亡、2人が戦後に生き残る。生き残った1人は、夜中に集められて特攻志望者は一歩前へと言われた際に踏み出せなかったことをずっと悔やみながら生きている。今でいえば中高生の年齢の少年が残酷な選択を迫られて追い詰められていく悲しい様子が書かれている。また、別の一編で実際の特攻隊の様子も描かれていて、海兵卒の隊長、学生出身の士官、たたき上げの士官のキャラクターの違いが書かれている。城山三郎の戦争小説はどれも何ともいえない気持ちにさせられる。
赤穂義士」は松の廊下の事件から実際の討ち入りまでを丁寧に追っているが、何分古い本なので、赤穂浪士を美化する視点、逆に途中で抜けた人は罵られる視点で全てつらぬかれている。戦国時代の武士文化と元禄時代の武士道は異なり、大石内蔵助は元禄ならではの理屈を通す武士道を体現しようとしたんだとか。大石内蔵助と何かあればすぐに斬り込みたい江戸組との対比も面白いが、様々な考えを持つ人たちを統率するためにいかにするべきか考えさせられる。綱吉が感情にまかせて松の廊下事件の処分をしたのと比較して、五代将軍綱吉との勝負に大石内蔵助は勝ったと書いている。
明治維新佐賀藩」は鍋島閑叟江藤新平が題材になっている。閑叟は長崎でオランダ船にのったりして洋学に関心を持ち、鉄製大砲を日本で唯一作れる藩を作り上げたが、京都で大言壮語してひんしゅくをかったことがあったんだとか。江藤新平については司法卿時代の功績がよく取り上げられるが、その前に一時的に在席していた文部省でも、国学漢学洋学論争に終止符を打つという後生の日本に大きな影響を及ぼすことをなし遂げている。著者の佐賀藩びいきがどこから出ているのか分からないが、閑叟と江藤が近代化に果たした役割は大きく、一般的に人気がある坂本高杉や、近藤勇、白虎隊などは端役だと末尾に書いているが、維新前に没した人たちと比べてもどうしようもない。ひいきが過ぎているのでは。
「沖縄決戦」は第三十二軍の参謀たちのなかで唯一生き残った著者が書いた手記で貴重。レイテ島の戦いの前後で第九師団を台湾に引き抜かれたために、それまで構想していた機動決戦を持久戦に切り替えざるを得なかったことはよく知られているが、第三十二軍は最初から沖縄の飛行場は保持するのが困難であるとして飛行場の破壊を進言していたものの、大本営に取り上げられなかったというのは初めてしった。一般に、第三十二軍は米軍上陸早々に飛行場を明け渡してしまったという言説がなされているが、もともとそのつもりで作戦を立てていたのに対し、方面軍や大本営がちゃんと対応していなかった面もあるようだ。読んでいて感じるのは軍隊といえども官僚組織で、参謀は洞窟の中でも決裁綴を離さなかったり、参謀長が朱筆で訂正をしたりしている。また、大本営から指示がなかなかなされないことを不満に思うものの積極的にコミュニケーションをとろうとはしていない。このあたりは今の日本の役所風土にも通じる。米軍上陸前から決めていた持久戦の方針を、途中で攻勢に切り替え、結果的に莫大な被害を被って持久戦にまた切り替えているあたりは、あらゆる組織が反面教師として受け止めなければいけないことだと思う。

最近のもの

「天を衝く」は九戸政実の乱を題材にした、著者の東北三部作のひとつ。わずか5000人で秀吉の大軍に相対したが、それ以前の南部家におけるお家争いも題材にされている。お家争いでは九戸党は争うことなくじっとしているので戦闘シーンは少なめ、その代わりに津軽を操ったりしている。著者の小説はパターンが決まっていて語彙も同じ。これも同様だが面白く読ませる。
時宗」は昔の大河ドラマの原作。北条時宗といえば元寇だが、元寇を扱っているのは最終巻で、前半は時宗の父の時頼が主人公になっていて、宮騒動宝治合戦を通じた北条一族のなかの権力争いを書いている。二月騒動で滅ぼされた時宗の兄の時輔について、実は弟と通じていて脱出しており、高麗や元にわたって元寇に備えていたことになっているのが著者の脚色部分。一般的には、元寇を通じて幕府が弱体化したといわれているが、小説なのでそういうところにはノータッチ。
「実録満鉄調査部」は神保町の店先でたたき売りしていたものを購入。大豆の集荷合戦を通じて満鉄が成長したとか、満鉄調査部はフィールドワーク重視だったとか、様々なエピソードがちりばめられていて面白いが、時系列には整理されていないので少し分かりにくいが、人材が豊富だったんだなということはよく分かる。
蝉しぐれ」は、初めて読む藤沢周平作品だったが、情景描写、人物描写、行間を読ませる書き方がすばらしい。読みながら風景がまぶたに浮かぶ。小節の積み重ねの長編になっているが、各小節の終わり方が絶妙で余韻を残している。内容は、父が藩内の勢力争いに巻き込まれて切腹させられた下級武士の息子が主人公。慎ましい生活の様子、主人公の友人たちとの関わり、剣の修行、幼なじみの娘が殿の側室となって離れていく様子が書かれている。英雄を描く司馬遼太郎のおもしろさとはまた違う、心にしみるような作品。幼なじみが殿の側室になって流産したと聞いた日に泥酔し、起きた朝に「朝の光に似た深いかなしみが胸を満たしてきた」とか、なかなか書けないだろう。
硫黄島に死す」は城山三郎の短編集。戦争関連の作品が多いが、最後の作品は九州への取材旅行の時の車内の様子を題材にしていて、他の収録作品と内容があっておらず、もったいない気がする。戦争関連の作品はどれもそうだが、特に、宝塚航空隊での予科練の訓練、その後特攻隊となって淡路島へ渡る途中で空襲にあい82人が亡くなった様子を書いた「軍艦旗はためく丘に」が読んでいて切なくなる作品。今の中学生と当時の中学生の精神年齢はおそらく違うだろうが、そうはいってもやはり子ども。宝塚歌劇団が童謡を歌ってそれに涙する様子が切ない。