ドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病を追って

ドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病を追ってドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病を追って
鎌田 慧

筑摩書房 1991-01
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宮本常一対馬をまわったのは昭和25年。それから19年後の昭和44年に鎌田慧対馬をたずね、公害を追った。
対馬の樫根部落には東邦亜鉛の鉱山があった。地中、水中のカドニウムカドミウム濃度は基準と比較して異常に高かった。鎌田が対馬をたずねるきっかけとなったのは、朝日新聞アサヒグラフが、樫根にはイタイイタイ病が存在すると報じたためだった。
しかし、蒲田が部落の誰にインタビューをしても、"ここにはイタイイタイ病はない"という答えしかかえってこない。イタイイタイ病に似た症状の人は、"神経痛"ということになっていた。なぜ、公害の存在は否定されるのか。それを追いかけるうちに、東邦亜鉛がこの地域一帯に及ぼす影響力が背後にあることが徐々にわかっていく。生活共同体から企業共同体へ部落自体が変化していき、企業に依存していく過程が明かされていく。
というような内容の本。この本が出色なのは、著者自身が取材をしていく上での葛藤や迷いなどが包み隠さず書いてあるところである。

わたしは部落の人たちを"被害者"と勝手に解釈し、かれらのひそかな協力をえて、"加害者"をやっつけるという、単純な"正義の味方"気取りでいたが、かれらには重い生活がある。それがようやく判るようになった。

という記述があるが、普通のルポではこんなことは書かないだろう。通常のルポルタージュは、対象と著者との間に一定の距離があり、それを冷静に保ったものが良いルポルタージュであると言われる。しかし、この作品では対象と著者の間に距離はまったくない。巻末の解説で松下竜一

『ドキュメント隠された公害』は通念的ノンフィクション作法を破っていて、きわめて主観的な「わたし」が熱くなって動き廻り嗅ぎ廻り(スタンスへの注意などなく)、それでも真相に迫りえない取材者としての手の内もすべてさらけ出していくところにこそ、読者を引き込んでやまない魅力があるのだ。あえて、〈熱いノンフィクション〉と呼ぶゆえんである。

と書いていて、まさにそのとおりの魅力がこの本にはある。相当面白い。