熊本、島原

週末に天草、島原、熊本に行ってきた。今年度は一人旅ばかりで申し訳ない。

  • 1日目

朝一のジェットスターで成田から熊本空港まで行き、レンタカーを借りた。レンタカーは旧式のマーチで10万km以上走行しており、アクセルを踏むと車体が震えるような状態だったものの特に支障はなかった。
天草諸島に向かうため入り口の宇土半島を西進する。先端の三角西港は、昨年「明治日本の産業遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されたところ。明治20年代に築かれた港が我が国で唯一そのまま残っている。桟橋だけでなく、道路や排水路、官庁建築などもセットで当時建築された。島々に囲まれていて海も凪いでおり、天然の良港だと思われる。その後、鉄道がつながった新港のほうに水運がシフトしたため、明治のものがそのまま残ったんだとか。
その後は天草諸島に移動し、まず天草上島にある千厳山で多島海の様子を見た。山がかなり急だったが近くまで車で行くことができる。その後、天草下島の南部にある崎津集落、大江集落でそれぞれ残っている天主堂を見学。崎津集落のほうは現在世界遺産登録を目指しているが、路も狭く駐車場も少ないので、登録後は大変だろうなと思う。大江天主堂は高台に位置しており、明治40年に五足の靴の旅で北原白秋らが訪れた場所でもある。多くの観光客が訪れていた。
大江天主堂の後は北上して富岡城へ。天草は島原天草の乱の前には唐津藩が飛び地として治めていたが、一揆軍が押し寄せたものの最後まで落ちず、討伐軍が迫っていたため一揆軍は有明海を渡って原城跡に籠もりやがて全滅する。城がビジターセンターになっており、展示ではここが落ちなかったことが徳川260年の安定した統治につながったと書かれている。陸繋島で一方からしか攻めることができない構造で、いかにも難攻不落といった印象を受けた。
この日の昼は道の駅で食べたイカ焼き、夜は富岡城近くの宿の食堂で定食を食べた。

  • 2日目

朝一の島鉄フェリー島原半島へ移動。フェリーの中でようやく夜が明けてきた。30分で到着する天草からの入り口の口之津港は、三池炭鉱から海外へ石炭を運び出す港として明治の頃栄えたところ。三池炭鉱の沖合が浅く、喫水線の深い船が着岸できなかったため、有明海をわたって石炭を運び、口之津で積み替えて上海へ移出していたんだとか。奄美群島与論島から飢饉対策として多数の人たちが移り住み、低賃金労働で働いていたところでもある。それらの人たちが暮らしていた与論長屋もあるらしいが、この日は朝早かったためフェリーで上陸してそのまま原城跡を目指した。
原城跡は高台になっていて、二面が海に面している。陸側は討伐軍がぐるりと囲んでいる状態で、海に現れた異国の船から砲撃を受けた一揆軍はどんな気持ちだっただろうか。高台以外の部分は多くが畑として利用されていた。
その後は小浜温泉に移動して、日本一長いという足湯を見学。ただ、朝10時からだったようで、朝早くまだ清掃中だったので入ることが出来なかった。魚介や野菜類を温泉で蒸す施設もあったが、やはり時間外で営業しておらず。
そこから山を登って雲仙地獄へ。ここから雨が降り出した。雲仙地獄は勢いよく蒸気が噴き出していて周りの草木は枯れている。徐々に噴出口は東へ移動しているそうだ。今は観光地になっているが、キリシタンが拷問を受けて多く殉教した凄惨な歴史も有している。殉教碑がひっそりとおかれていた。
その後は雲仙普賢岳の噴火に関する施設群を回った。旧大野木場小学校は、火砕流の熱風で建物こそ倒壊しなかったものの小学校の内部が焼け焦げ溶けてしまったところ。校内の施設が溶けたまま今も保管されている。また道の駅みずなし本陣ふかえには、土石流で二階まで埋まってしまった当時の民家がこちらもそのままで残されている。柵の向こうではミカンなどの栽培が普通に行われており、被災と日常のギャップを感じた。雲仙岳災害記念館は当時の災害について体系的に整理し展示しており、火砕流に巻き込まれた人たちの遺品、報道関係者の焼け焦げたカメラ、自転車なども展示されている。噴火を疑似体験できるドームシアターもあり、映像が大時代的ではあるものの当時の恐怖が伝わってきた。
最後に島原城下の武家屋敷跡を見学。下級武士の屋敷が並んでいて、道の真ん中が水路になっており水が流れている。ここは司馬遼太郎が街道をいくで多く言及していて是非とも行ってみたかったところ。あいにく雨が強くて残念だったが雰囲気がありとても良かった。その後、熊本までフェリーで渡り、レンタカーを返して市内で泊。
この日の遅めの朝食は島原そうめんを地元の農林高校生徒たちとコラボしてペペロンチーノなどの新しいメニューに仕立てている店。昼は島原の郷土料理の具雑煮姫松屋本店で。夜は熊本の商店街で買った豚まんだった。
島原半島は熊本と予想以上に近く、熊本に戻るフェリーでは、島原観光の帰りらしい家族連れが多くいた。FM熊本でも島原半島のコーナーがあり、島原半島の熊本よりではラジオの電波も入る。

  • 3日目

この日はレンタカーを返してしまったので熊本市内を見学。この日も断続的に雨が降っていたが、午後は少しやんできた。
午前中は熊本城と細川刑部邸を見学。熊本城は見所が多いのに500円で入場できるのがすばらしい。天守閣や本丸御殿など、実際に入って見学できる場所が多い。雨で残念だったが外国人観光客も多く訪れていた。2時間はみっちり見ることができる。
その後は熊本大学へ移動して五高記念館へ。ここでは旧制高校時代の資料を展示している。五高には夏目漱石、ラフカディオハーン、秋月悌次郎など著名な教師陣がいたことでも有名。鮮明な写真が多かった。また、学徒出陣の際の出征学徒の答辞が残っていて印象的だった。
最後に、細川家の庭園だった水前寺公園を見た後、熊本空港まで移動してジェットスターで帰京。雪が心配だったが何の問題もなく成田まで到着した。