勝ち組、負け組

今でこそ、社会的地位によって人々を色分けするこの言葉であるが、元々は日系移民が移り住んだ国で、太平洋戦争後に発生した言葉であるようだ。

戦前、日本からは多くの移民が各国へ移住した。当初はハワイなどが多かったが、北米での排日気運が高まるにつれその多くは南米へとシフトしていった。その中でもブラジルは最たるものである。
太平洋戦争終了直後、日本が敗戦したのかそれとも勝利したのかで日本人社会が分裂した。日本の勝利を信じたのが”勝ち組”、敗戦を信じたのが”負け組”である。ブラジルでは勝ち組の組織した暴力機構が、負け組の主な人を暗殺することまで起きたらしい。
当時、日本本土からのブラジルへの情報伝達は、ラジオが現地時間の夜にある程度流されることだったらしい。それもラジオの性能で聞き取りにくく、ましてや玉音放送など聞こえないも同然で、またブラジル政府がなかなか正確な情報を流さなかったために、このような事態が生じたといわれる。
この、勝ち組と負け組との対立は、当時日系移民がいた大体の国で起こったらしいが、ブラジルでは終戦後10年ほどたってもまだ対立があった。当時、日本が勝ったのか負けたのかを移民の間で言うことはタブーだったという。

っていうことが、北杜夫の「輝ける碧き空の下で」に書いてありました。この本ほんとに面白いので、市民図書館にあるし読んでみてはどうでしょうか。