最近のもの

充たされざる者」はノーベル賞作家のカズオ・イシグロの作品で、著名な演奏家であるライダー氏がとある町の演奏会に招かれた際の混乱を題材にしている。町についていきなりスケジュールがわからなくなり、人に言われるがままに右往左往する様子が読み手を混乱させる。また、例えばホテルのポーターが内心考えている娘との不和をいつのまにかライダー氏が理解していたり、その娘がいつのまにか妻と一体化されていたり、車で遠路はるばる連れて行かれたパーティー会場で扉をあけると実はホテルにつながっていたりと幻想的な記述が多い。しかし、読みづらく感じさせない翻訳がすばらしい。人のコミュニケーションは、結局のところお互いの推測や思い込みで成り立っていて、どこかがくずれるとこの小説の中の世界のように成立しなくなってしまうというようなことを考えながら読んだ。夫婦の不和とそれが子どもに与える影響も、隠れたテーマとして設定されていると思う。
蝦夷の末裔」は前九年・後三年の役を書いており、炎立つを読みながら久しぶりに読み返した。史料に限りがあるなかで異本版の吟味をしたり、清原貞衡の正体を考察したりと、著者の考えが多々書かれている。前九年の役で名をあげた源頼義について凡将と評するのもそうなのかなと思わせる。
炎立つ」は1993年の大河ドラマ原作。藤原経清から奥州藤原氏の滅亡までを題材にしており、藤原経清と安部一族、清原一族、藤原三代の側を主人公にして書いている。特に、最終巻は藤原泰衡がメインとして扱われており、藤原三代の栄華をぶちこわしにした藤原泰衡というイメージを崩す描き方である。どうやっても頼朝が攻め込んでくることを悟り、義経を密かに逃がして身代わりの首を頼朝に届け、また、奥州攻めに際しても、奥州十七万騎を解散させ、抵抗せずに藤原一族だけが責めを負うことで、陸奥の民全体を救ったということになっている。とはいっても、前半に比べて後半の駆け足感が否めないのも事実。前半の中盤、前九年の役黄海の戦いのあたりが特に面白く読ませる内容。源義家も魅力的に書かれている。
「鉄砲を捨てた日本人」は30年以上前に書かれた本で、もはや古典。戦国時代には鉄砲作成の技術が向上し、用兵面でも長篠の戦いのように鉄砲を最大限に活用し、当時のヨーロッパのどの国よりも鉄砲の本数が多かった日本が、江戸時代に入ると鉄砲の開発を放棄し、数も減っていき、刀剣の世界に戻ったという。なぜかというと、刀剣とは異なり、飛び道具は卑怯という意識が日本にあったことだとか。鉄砲は手放しつつも、江戸時代に他の技術は着実に進歩しており、軍縮と技術進歩は併存が可能であるというのが著者の主張。しかし、江戸時代に鉄砲を放棄したというのも、戦いがないために単に需要がなかっただけなのでは。百姓は鉄砲を鳥獣対策として持っていたという話もあるし、鳥獣対策としては火縄銃で十分だっただけとも思える。問題提起としては面白いが、これを鵜呑みにして江戸時代をただ礼賛するのはどうか。
アイヌ学入門」はアイヌの風俗や宗教などについても言及していて網羅的だが、後半はあまり興味がもてなかった。著者は考古学の立場からアイヌについて研究していて、オホーツク人の南下とともにアイヌが仙台新潟のあたりまで南下し、その後また北上していったこと、9世紀頃に三陸あたりから石狩へ移住があったことなどが紹介されている。また、アイヌ民話に出てくるコロポックルは、北千島のアイヌとの沈黙交易がモチーフになっているそう。自然とともに生きているアイヌという姿ではなく、様々な相手と交易をし、相手から様々なものを取り込んでいくアイヌ像が書かれている。奥州藤原氏が北海道で金の採掘をしていたのではないかという指摘も興味深い。
「家族の樹」はミッドウェー海戦で戦死したアメリカ人飛行士の家族の話が中心で、その他、飛龍と三隈からの漂流者で捕虜になった日本人についての小編もついている。取り上げられているミッドウェー海戦で戦死したアメリカ人飛行士は、戦死直後に息子が産まれ、その息子もベトナム戦争で戦死している。澤地久枝ミッドウェー海戦の全戦死者の名前を調べているが、親子二代で第二次大戦、ベトナム戦争で戦死しているケースは、判明しているのはこの1件だけなんだとか。イタリアから移住してきたこの一族の成り立ちから、戦死後の残された家族の様子まで丁寧に書かれている。
「安土往還記」は、織田信長に気に入られたイタリア生まれの船員の目を通して信長を描いている。「事が成る」ことに心血を注ぐ、孤独な決断者としての信長像がおもしろい。そのような信長にとって、危険を顧みずに海を渡って布教に来る宣教師や船員は共感できる相手。作品中には実は「信長」という単語は一言も出てこない。安土城の豪華絢爛な様子が目に浮かんでくる。信長を題材にした小説は実はあまり読んだことがなかったように思うので、秋山駿の信長も読んでみたいと思う。
「幻の女」は1942年に書かれた古典サスペンス。前半の軽快な調子が徐々に重たくなっていき、終盤で、恐怖が首の周りを包んだとくるあたりはぞっとする。しかし事前にあらすじを知っていたから予期しながら読めたが、何も知らずに読んだら最後のどんでん返しまでだまされるはず。戦争中にこういう小説が出る国と戦争していたら負けるはずだと感じました。
「ミレニアム4」はミレニアム1〜3までとは著者が違うが、同じような雰囲気で書かれていて世界に入りやすい。主人公の後輩がかませ犬のように捕らえられて死んでしまうのがかわいそう。