最近のもの

「赤い人」は明治期の北海道の監獄事情を題材にした小説。現在の月形町に監獄をつくるために測量に入ったころから、囚人を送り込んでの監獄建設、北海道内の炭鉱や道路建設での囚人の使われ方が淡々と書かれている。囚人の労働力を活用するというのは旧ソ連にも通じる考え方だが、当時の日本では国費で囚人を養うよりはその労働力を使用し、減耗すればそれはもうけものというくらいの考えだったらしい。冬の北海道で足袋もはかせられずに強制労働に従事した囚人の苦労はどれほどだったのだろうか。監獄内では一切の暖房もなく、凍えながら冬を過ごしたんだとか。
「瀕死のライオン」は3年前にも読んだが、最後の戦闘シーン以外はほとんど内容を忘れていた。北朝鮮が日本国内に核兵器を持ち込み、日本を人質にして米軍の動きを封じた上で第二次朝鮮戦争を引き起こそうという動きがあることを察知した日本。それを事前につぶすために核兵器の搬出の証拠写真を撮るべく、自衛隊の精鋭たちが、自衛隊の籍を抜いて一民間人として北朝鮮に潜入し、ドンパチするという内容。内容は面白いが内閣情報調査室が美化されすぎでは。また、主人公の一人である内調の女性職員の描写が昔の男性が書く女性の描写そのもので、仕事に打ち込みすぎて夫とのすれ違いに悩んだり、久しぶりに夫とあるときには化粧をしたり、体を使って仕事をしたりと一面的。
「彷徨の季節の中で」も5年前くらいに2度読んだが、相変わらず内容はほとんど忘れていた。母と妹と3人で暮らしていた幼少期と、父の家に引き取られて以降との違いが際立っている。また後半は、大学に入って共産党の活動に従事するも、国際派と所感派の対立に巻き込まれて除名され、闘病するところが、他の人にはなかなかかけない自らの体験を活かした文章だと思う。著者は名文家なので、はっとさせられる表現が多い。
「雪国」は十数年ぶりに読んだ。前読んだときは、都会の男が湯沢の芸者と親しくなり、最後に火事を眺める話という印象しかなかったが、改めて読み返すと考えさせられるところも多い。行間がそぎ落とされているため、「いい女」の聞き間違いなど、なぜここで駒子がこう思ったのだろうと考えながら読まないといけない。島村が湯沢に行ったのは、はじめて駒子に会った初夏、トンネルを抜けたら雪国だったその年の12月と、最後に火事にあうその次の年の秋から冬にかけてかと思っていたが、会って3年とかそういう表現もあり、最後は2年ほど空いているのかもしれない。手がかりがなくよくわからない。駒子から見た島村はどういう存在だったのか。悲しいほど美しい声という表現もすごい。
竜馬がゆく」は司馬遼太郎の長編で、もう半世紀以上前の作品。燃えよ剣と同時期の作品らしい。全8冊で、丸一週間を要した。読むのが遅くなった。日本人にとっての坂本龍馬のヒーローとしてのイメージを形作った作品と言っても過言ではないのではないか。さほど史料がない前半に比べ、後半はだんだんと架空の人物の登場機会が減っていき、著者もいうようにある種の史伝的な感じになっていく。もっとも、明るく魅力的な竜馬を際立たせるために、他の登場人物には何らかの欠点があるように書かれるのが司馬遼太郎風なので、史実というよりは小説と割りきったほうが。小栗忠順の郡県制についても、竜馬側からみれば結果的にはフランスに隷属するだけに見えるし、そのように描写されている。
海援隊始末記」は7年ぶりくらいに読んだが、「竜馬がゆく」を読んだ後に読むと理解が進みやすい。これは更に古くて戦前の本だが、司馬遼太郎が元ネタにしたであろう記述が多い。また、坂本龍馬が死んだ後の海援隊の様子を書いているのも興味深い。鳥羽伏見の戦い直後の長崎奉行所での政権交代の様子とか、海援隊塩飽諸島、小豆島を短期間ではあるが統治していたとか、興味深い記述が多い。手紙のやり取りが多く引用されており、候文に慣れていないとつらい。
「陸援隊始末記」も海援隊始末記と同時期に復刊されたものでいわば姉妹編。戊辰戦争の初期に、陸援隊が高野山にこもって挙兵したのは知らなかったので勉強になりました。時期を間違えば天誅組と同じ運命になっていたのかもしれない。理想言論の龍馬と、現実武備の中岡という対比がわかりやすい。こちらも手紙の引用が多いが、中岡慎太郎の文章は意外と読みやすい。土佐藩の兵備の提言について、薩摩と長州の違いを述べながら具体的に提言するなど具体的で興味深い。