最近のもの

奥州藤原氏」は、著者の東北古代史三部作の最後の作品。藤原氏についての文献史料が少ないため、京都の貴族や鎌倉幕府側の史料から読み解くしかない。限られた文献を頼りに藤原三代の流れを解説している。頼朝がどうしても藤原氏を滅ぼしたかったのは、先祖代々の、藤原氏は源氏の御家人だという意識があったからだとか。藤原氏にとっては、征伐の名目をつくる義経は迷惑ものでこそあれ、ありがたい英雄などではなかったんだろうと思う。中尊寺に収められている藤原三代のミイラの調査結果についても触れられていて興味深い。
鎌倉幕府〜」は、昨年一度読みかけたものの、読みづらく感じて途中で投げ出したが、改めて読むとそれなりに面白い。通史記述の章が中心だが、鎌倉時代の裁判や土地の相続について書いた章もあり、具体的な事例が紹介されている。12世紀の大規模開墾時代には分割相続が機能したが、開田の余地がなくなってくると分割相続では立ちゆかなくなり、また、合戦などで没収した土地の再配分も余地が少なくなったため、結果として裁判が頻発したんだとか。通史部分は、天皇、将軍、執権の名前がややこしくて覚えきれないが、なんとなくの流れを整理するのには良いと思う。モンゴル襲来の様子も比較的詳しく書かれているように思うが、壱岐対馬の戦いの様子などは一切書かれておらず、事件や戦いの記述が少ない最近の通史だなあという感じ。
「生きて帰ってきた男」は小熊英二の父親、賢治からの聞き取りをもとに再編成したもの。同氏は昭和19年に19歳で徴兵されて満州終戦を迎え、チタでシベリア抑留生活を送った。帰国後も結核にかかったりかなり苦労した後、多摩地方でスポーツ用品店を営むことで高度経済成長の波に乗り、今に至るというもの。シベリア抑留時代だけではなく、日本に帰ってからの苦労や高度成長期の様子まで書いているのが特徴的。平均的な人生かというとそうではないのかもしれないが、戦中戦後を生きた一人の人の人生が浮かび上がってくる。シベリア抑留時代の同僚として、間島地方の朝鮮人終戦直前に徴兵され、戦後同様にシベリア抑留された人が出てくる。満州国内の朝鮮人も徴兵されていたというのは知らなかったが、国外に住んでいる日本国籍所有者という整理をしていたのだろうか。これを読むと、従軍した朝鮮人に対して恩給や補償をしない現行制度について疑問が浮かぶ。
江夏の21球」は有名なスポーツノンフィクションで、文章に引き込まれる。短編集で一つ一つの話が印象深い。村山実から長嶋がホームランを打った天覧試合にからめ、様々な関係者について書いている「異邦人たちの天覧試合」が印象深かった。様々な選手が取り上げられているが、巨人の水原監督はシベリア抑留経験者、阪神の田中監督はハワイの2世で占領時には進駐軍の通訳もしていたとか。また王貞治中華民国なので、高校生の時には国体に出場できなかった。
尾張下屋敷…」は、新宿の戸山公園のあたりに昔あった尾張藩下屋敷の広大な庭園について紹介している本。今も戸山公園の中に箱根山が残っているが、もともとは庭の中に湖をつくったときの残土で山をつくったのが今の箱根山として残っているそう。庭園の中には宿場町もつくられ、将軍などが来園したときには、作り物のお菓子や売り物が並べられたり、水田もあって実際に耕作が行われていたんだとか。広く公開されるものでもなく、お成りの際にしか使われない広大な庭を築く尾張藩の財力がすごいと思う。
河内源氏」は、源頼朝につながる武家の棟梁の河内源氏を、その始祖から辿っていて、頼朝の父の義朝までを主に扱っている。保元の乱では親子が敵味方に分かれるなど、けして順風満帆ではなかった様子がわかるし、前九年の役後三年の役への関わりも書かれている。摂関家や院など、当時の権力との距離を縮めることが、武士の出世にもつながっていったことがよく分かる。
「破軍の星」は北畠顕家が主人公。架空の、奥州藤原氏の末裔を思わせる安家一族も出てくる。新田義貞は、行動すべきところで行動しない優柔不断な存在として扱われており、足利尊氏は、敵ではあるものの武家の棟梁としての包容力にあふれた大きな人間として書かれている。連戦連勝の北畠顕家が、最後敵陣に突っ込むところで小説は終わっているが、ものすごく面白い。また、奥州から京都までの強行軍の苦しい様子がよく分かる。北方謙三をはじめて読んだ(と思う)。
「日本の歴史14」は、東北北部と蝦夷地、琉球、海洋世界の3つを大きく扱っていて、それぞれ別の著者が書いている。特に東北北部の話に興味があり読んだが、前九年、後三年の役からはじまって十三湊の当時の様子、安東氏の繁栄についても書かれている。本土側からだけではなく、北海道側からも南下の圧力があり、戦いに備えるために環濠集落もできていたというのがおもしろい。琉球の関係では、奄美は薩摩侵入まで琉球だったものの、直轄として薩摩に取り上げられたという経緯をはじめて認識した。海洋世界の関係では、対馬と朝鮮の関係についてかなり書かれており、朝鮮の地図と国内の地図での対馬の扱いなど、知らないことが多かった。冒頭で、外ヶ浜のことを詠んだ句をとりあげて外と中を区切る排外的な思想と断じたり、ところどころ、主張に?がつくが、紹介されている内容そのものはどれも面白い。

最近のもの

「贈与の歴史学」は、主に鎌倉室町時代の贈り物のやり取りについて分析されている。テーマはマイナーだが文章が読みやすい。徐々に経済化されていき、AがBに折紙として送ったものが、BがCにその折紙を贈与すると、AはCに現物を贈与する責務が生ずるなど、一般的な債務と債権のような取扱いがされている。また、贈り物としては馬が送られることが多いが、送られた側も困ってしまうので、そのまますぐに別の人への贈り物にしてしまうというのも面白い。
「日本中世の民衆像」は網野さんの講演を本にしたもので、文章は分かりやすく読みやすい。平民が負っていた年貢について改めて考え、米だけではなく鉄や海産物なども年貢として扱われていたなど面白い。一方で職人は、朝廷や寺社につながってその役を果たす代わりに年貢を負わない存在だったらしい。
「日本の路地」は各地の被差別部落をめぐるルポ。著者は中上健次のように被差別部落を「路地」と言いかえている。自らが大阪の路地出身であることを元に、国内各地の路地をめぐっているが、この都市のどこどこに路地があり、そのルーツは何々だと詳細に記述しているのは、ある種の悪趣味さを感じないでもない。触れられたくない現地の人の心情を逆なでしていないか。著者が育った大阪の路地の様子が生々しく書かれている。
「王政復古」はかなり分厚い中公新書で、王政復古に至るまでの慶応三年の経緯が詳細に記述されている。土佐が、大義名分論、武力倒幕論で揺れ動いているなかで、薩摩が土佐をいいように利用しながら王政復古まで突き進んでいった様子がよく分かる。改めて確認すると、第二次長州征伐が失敗してから1年の間に、大政奉還、王政復古までいってしまうのだから、当時の通信事情の中でのその1年の激動っぷりは想像を絶する。
「秀吉と海賊大名」は、最近明智光秀本能寺の変の裏には足利義昭がいたと発表した三重大学の教授が書いたもの。ただ、今回発表された書状については、2011年のこの著書にも既に書かれている。秀吉と光秀は、それぞれ三好家、長宗我部家とつながりがあり、長宗我部勢力が衰退するのにあわせ、光秀の勢いも衰えていったのだとか。伊予の河野家が長宗我部家に滅ぼされたという通説に対して反駁したり、後書きでも、豊臣秀吉の惣無事令の存在について疑問を呈するなど、一般に言われている通説に対して異を唱えるスタイルで全体が著述されている。自らの思いや感情が先に立っているように思える。
朝鮮戦争」は、朝鮮戦争をテーマとした小説で、北朝鮮の南進から仁川上陸、中国軍参戦、停戦までが良くまとめられている。中国軍の文字通りの人海戦術の悲惨さが良く分かる。最後に内灘闘争が出てくるのが唐突感があるが、内灘闘争を題材にしている小説など今どきなかなか読めないのでこれも貴重。

最近のもの

「人間の運命」は全7巻の超大作。芹沢本人を思わせる森次郎が苦学しながら帝大に進学、様々な人々との出会い、留学、空襲体験などが描かれている。両親が天理教だったため幼少期から大変苦労した様子がわかるし、いわゆる土俗的なものから抜け出ようと足掻く様子が、戦前の日本の様子そのものに重なって見える。日本版の教養小説で、一度は読んでみるべきだと思う。
「てんやわんや」は、戦後すぐに宇和島でしばらく過ごした著者の体験が反映されているという小説。戦争の影響をさほど受けなかった当地の様子や、高知との県境の山地の様子が良く書かれている。話の内容もそれなりに面白い。
ストリートビュー」は雑誌の連載をまとめたもので、雑誌で読む分にはそれぞれ面白い記事なのだが、それがそのままなんの編集もされずに掲載されているので、それぞれの記事が単発で短く、突っ込み不足のまま終わってしまっている感がある。雑誌の連載をそのまま本にしてもダメという好例。
「昭和解体」は国鉄分割民営化の経緯を丁寧に追った大作。敗戦後に引揚者・復員者を大量に受け入れた国鉄は、慢性的に余剰人員を抱える構造のなかで赤字体質を改善できず、徐々に追い込まれていく。当局によるマル生運動は、国労側の反発で不発に終わり、そこで労組側が得た現場協議制度によってさらに労使関係が悪化していく様子が書かれている。遵法闘争やスト権ストなどの様子はほとんど知らないことだったので勉強になった。結局は、悪化した労使関係を、悪い労組と協力的な労組に色分けし、国労を潰すことで総評、社会党の勢力を弱めることが、分割民営化の出発点。
政治との関わりも赤裸々に書かれている。国鉄のキャリア組は「学士」といわれ、その中のいわゆる改革三人組が、臨調や党の国鉄再建小委と密接に連携をとりながら分割民営化に導いていったこと、田中角栄が倒れたことが、国鉄内の「国体護持派」の動きを弱めていったことも書かれている。分割民営化後30年が経過したが、当時の趣旨が体現されたといえる状況なのかどうか。最大の組織いじりの実例として読まれるべきものだと思う。
「裏日本」は昔の岩波新書で、新潟大学の教授が書いたもの。表日本の準周辺としての北陸の明治以降の動きを追っている。当時の巻町の原発住民投票など書かれていて興味ぶかい。
「幕末・戊辰戦争」は、政治的な状況よりも純粋に軍事的な観点から、当時のそれぞれの戦いの様子を追ったもの。軍事の天才と評されることが多い大村益次郎に対する評価が低いのが面白い。江戸城開城以降の北関東の戦いはさらっと流す本が多い中で、丁寧に動きが書かれているので勉強になります。
戊辰戦争」は、何年か前にも一度読んだが改めて再読。奥羽越列藩同盟側から見た戊辰戦争の流れが書かれている。奥羽政権は自分たちのビジョンを持っていたとかなり持ち上げているが、本当にそうだったのか?以前読んだときも感じたが、官軍側も世良修蔵に全ての罪をなすりつけているという指摘が印象的。

8/19-20新潟方面

ムーンライト信州に乗ってみたかったので、18きっぷの残りで新潟方面に行ってきた。あわせてゆざわshu*kuraにも乗車した。

  • 1日目

2354新宿→0540白馬(ムーンライト信州
0656白馬→0715南小谷
0739南小谷→0836糸魚川
0853糸魚川→0936直江津(トキめき鉄道)
1018直江津→1133長岡(ゆざわshu*kura)
1143長岡→1208東三条
1211東三条→1230吉田
1234吉田→1343柏崎
1426柏崎→1505宮内
1545宮内→1549長岡
1616長岡→1733新潟

ムーンライト信州で白馬まで移動。登山客が多く、半分くらいは途中の信濃大町で降りていた。あまり天気が良くなかったからか空席も多かった。明るくなりかけている頃に途中で左側に湖が見えて幻想的だった。
白馬から糸魚川直江津までは大糸線、トキめき鉄道を乗り継ぐが、みんな同じことを考えているので車内はそこそこ混んでいた。南小谷から糸魚川までの間はトンネルが続くが、トンネルの中では加速するものの、地上に出ると線形が悪いのかかなり徐行していた。糸魚川駅では待合室に昔の列車が飾ってあるのを見学した。トキめき鉄道は1両になったのでさらに混雑。
直江津から長岡までは日本酒をテーマとした観光列車に乗車。途中で試飲が配られたりジャズの演奏があったり、イベントが盛りだくさんの観光列車で面白い。利き酒を2種類頼んだがおいしかった。途中で青海川駅に5分ほど止まるが、長岡行きの列車は海側のホームに止まるので、乗客がみな降りて写真を撮っていた。
長岡からは、信越本線弥彦線越後線に乗り換えて柏崎まで戻る。越後線の柏崎吉田間は、こういう機会でもない限りは乗らないだろうと思い乗ったが、半分くらいは寝てしまった。柏崎駅前はブルボン本社のほか本当に何もなく、裏日本の地方都市の悲哀を感じる。
信越本線で宮内まで移動して駅前で青島ラーメンを食べた後、長岡乗り換えで新潟駅まで。青島ラーメンはショウガの香りはそれほどしなかったがチャーシューがおいしかった。新潟では駅ビルの寿司屋で食事をとり、またぽんしゅ館で日本酒の試飲をした。「のぱ」という酒が日本酒とは思えない甘さで驚いた。
この日は「BOOKINN」というゲストハウスで宿泊。二段ベッドに本棚が備え付けられていて、様々な本が置いてあって楽しい。先週泊まった金沢のゲストハウスとは異なり、みな静かに本を読んでいて過ごしやすかった。

  • 2日目

0517新潟→0536新津
0600新津→0849会津若松
0909会津若松→1011郡山
1045郡山→1120白河
1221白河→1247黒磯
1253黒磯→1345宇都宮
1425宇都宮→1626東京

この日は東京に早めに帰ることを目的にひたすら移動。新潟の始発は大変混雑していたが、新津から会津若松への磐越西線始発はかなりガラガラだった。途中で、会津若松から新津までの車両ともすれ違ったが、そちらはさらにガラガラ。幹線で歴史的経緯もあるのでまだそれなりにダイヤが残っているが、新潟福島の県境を越えて移動する役割は高速バスに相当とられてしまっているのではないか。阿賀野川に沿うように走っていたので車窓を楽しんだ。県境のあたりの銚子の口という景勝地も車窓から見え、迫力があった。喜多方からはさすがに混み合ってきて、そのまま会津若松へ着。その後は郡山まで移動したが、そちらはかなり混んでいて、フルーティアふくしまも接続されていた。
郡山駅でクリームボックスを購入した後に白河まで移動し、白河小峰城を見学。戊辰戦争白河口の戦いで焼けたが、平成初期に木造で再建されていて、無料で入場することができる。再建の際に近隣の木材を使ったところ、戊辰戦争の際の弾痕が残っていたそうで、それもあわせて展示してある。
その後は宇都宮まで移動し、駅のホテルにみんみんが入っているので餃子を食べ、その後東京まで戻ってきた。この日はほとんどを移動に費やした。

8/12-14北陸

18きっぷで北陸方面に行ってきた。2年前に秋の乗り放題パスは使ったが、18きっぷそのものを使うのは10年ぶり。

  • 1日目

2310東京→0550大垣(ムーンライトながら
0553大垣→0627米原
0650米原→0700長浜
0800長浜→0825近江塩津
0833近江塩津→0846敦賀
1040敦賀→1118武生
1222武生→1246福井
1410福井→1536金沢

ムーンライトながらで大垣まで出てスタート。9号車とかなり後ろのほうで、米原行きに乗り換える階段が相当前のほうだったので乗り遅れそうだったがなんとか間に合った。乗り換えが3分しかないので、少しでもムーンライトながらの到着が遅れると乗り換えが厳しい。米原行きは昔は4両編成だったそうだが、8両編成だったので車内には余裕があった。
米原から北陸本線に乗り換えて長浜で降りる。琵琶湖沿いの長浜城跡が公園になっていて駅から5分弱で行ける。朝早かったが公園には結構人がいた。琵琶湖は先日の大雨の影響かかなり濁っていて浮遊物も多かった。駅を挟んで琵琶湖と反対側には、黒壁スクエアという一角があって、地域おこしの文脈でかなり有名らしいのであわせて行ってみたが、雰囲気があって良かった。朝早すぎてお店はやっていなかったが。その他にも、旧長浜駅の建物など見所が多く、1時間でいろいろ見れてよかった。
その後は敦賀に移動してレンタサイクルで市内を観光。気比神宮に寄ったあと、旧敦賀港駅の建物を模した博物館にいって敦賀の交通の歴史を見た。日本海側の入口だった時代は相当繁栄していたようだ。その後、赤レンガ倉庫のカフェがちょうど開いたので少し休憩し、また駅に戻った。鯖寿司が一口分だけ売っていて食べたがおいしかった。
その後は武生の御清水庵という蕎麦屋で越前おろしそばをいただいたが、大根おろしの辛みが合っていてあっという間に食べてしまった。食べた後に、武生の有名な観光スポットであるという蔵の辻というゾーンへ行ってみたが、建物は確かに雰囲気があるものの、お盆だからかもしれないがどこの店も閉まっており、そのせいか全く活気も感じられず、期待倒れという印象。鉄道ジャーナルではおすすめしていたが。
その後福井へ移動して越美北線に乗ろうと思っていたが、18きっぷシーズンだからか1両の列車がかなり混み合っており、その状態で九頭竜湖まで行くのはつらいのでパスして金沢へ早めに移動し、金沢観光をすることとした。金沢の「まちのり」というレンタサイクルが秀逸なシステムで、市内に二十数カ所のサイクルポートがあり、1日200円で自転車が借りられ、30分以内にどこかのポートへ返せば追加料金が発生しない。これを利用して、金沢駅についたのは15時半過ぎだったものの、そこから日没までの間に、駅から東茶屋街金沢城周辺、旧四高記念館、犀川沿い、長町武家屋敷とかなり多くの場所を回ることができた。市内に観光地が分散しながらも一定の範囲内に集まっており、それらを移動するニーズがあるからこそ成り立っているんだろうと思う。2012年から始まっているそうだが、初期投資にどれくらいかかるのだろうか。長町武家屋敷のあたりにオヨヨ書林という古本屋があり、品揃えがかなり充実していて大変良かった。新潮文庫の昔の復刊シリーズ(背表紙の番号がBで始まるもの)がたくさん並んでいて、神保町でもあまり見ないのにすごいなあと感じた。マルローの王道を購入。
金沢ではゲストハウスに泊まる予定としていたので、一度荷物を置いた後、近江町市場の二階の店で海鮮丼。観光地価格なのかどれも高く感じたが、ネタがとても多く載っていたし新鮮でおいしかった。その後、腹ごなしもかねて、レンタサイクルで21世紀美術館まで移動し、無料ゾーンを見学。22時までやっているんだとか。タレルの部屋をのぞいたが、日中は青く見える四角い空が、真っ黒に見えるのは新鮮だった。美術館自体は21時を過ぎていたからか、ほとんど誰もいなかった。その後ゲストハウスに戻り早めに就寝。

  • 2日目

0630金沢→0757七尾
0916七尾駅前→0955ひみ番屋街(わくライナー(バス))
1149氷見→1220高岡
1224高岡→1242富山
1405富山→1503猪谷
1508猪谷→1617高山
1854高山→2111美濃太田
2125美濃太田→2201岐阜
2259岐阜→0505東京(ムーンライトながら

この日は富山から高山本線で南下して帰る予定。朝早くゲストハウスを抜け出て七尾線で七尾まで。七尾では一本杉通りやフィッシャーマンズワーフを見学したが、フィッシャーマンズワーフは朝8時半の開店を待ちかねたかのようにどんどん人が入ってきていて活気があった。
その後、七尾駅から氷見までバスで移動。氷見の道の駅に、ひみ番屋街という直売施設が併設されていてそこで降りた。ここはさらに輪をかけた熱気で、施設も広く多くのものが売られており、岩牡蠣をそのままいただいたりと大変満喫した。足湯もあるし、隣には温泉も併設されているし、ゆっくり回ったら半日くらいは使いそう。ひみ番屋街は氷見駅から少し離れていて徒歩20分と案内があったが、氷見駅まで早足で歩いても本当に20分かかった。ゆっくり散歩のペースだったら30分近くはかかるのではないか。
その後は氷見線からあいの風とやま鉄道に乗り換えて富山まで移動。氷見線では、天候が良ければ富山湾越しに山が見れるらしいが、あいにく曇っていて見れなかった。富山駅ではブラックラーメンを食べようと思っていたが、ひみ番屋街で食べたものでかなりおなかがふくれたので、富山駅周辺をぶらぶらしただけで早めに高山本線のホームに並んだ。高山本線は2両でかなり混んでいたが、猪谷近くになるにつれてだんだんと空いてきた。神通川が左側を流れていて絶景だった。猪谷で乗り換えて高山まで移動。
高山では、まず高山陣屋跡を見学。この建物が昭和44年まで県の地域事務所として使われていたことに驚き。それを元の姿に復活させた関係者の努力がすばらしいと思う。外国人観光客がとても多かった。その後、昔の町並みが残っているあたりをふらふらしていたが、舩坂酒造店というところで升酒の試飲を安価でしていたので試飲。半合の升酒の試飲が200円〜ででき、中庭のスペースでゆっくり楽しめる。夕方だったのでちょうど暑くもなく、たいへん良かった。駅前で高山ラーメンを食べた後、岐阜まで延々と高山本線で移動。高山から美濃太田まで2時間以上ロングシートで、混んではいなかったものの、外の風景も真っ暗で見えず、残念だった。その後は岐阜からムーンライトながらで帰京した。乗車直前はやはりキャンセルが出るのか、岐阜駅で窓際席があるか聞いてみたら空いており、変更することができた。やはり夜行の移動はけっこう疲れるし、冷房がきついので羽織るものが必要。

最近のもの

「学歴・階級・軍隊」は10年ほど前に一度読んだが再読。著者の旧制高校への嫌悪感はなんなのだろうか。うまれた時代と自らが女性であることに強いルサンチマンを抱いているように見える。著者は、一時期はよく本を出していたが、最近は何をしてるんだろう。
空爆の歴史」はゲルニカ重慶、ドイツ、日本への空爆から、イラクへの空爆も含めて幅広く論じている。最初に飛行機を戦場で用いたのはイタリア軍!らしい。植民地で非対称的な戦争を行うための手段として飛行機は効果的だったのだとか。その構図は、近代国家同士の戦いだった第二次大戦を除き、今でも変わらない。
「TENGU」は何も考えずに読める小説。題材は面白いもののストーリー展開がややチープで先が読めてしまう。
「五月の雪」はロシア極東のマガダンを舞台にした短編小説がいくつか並んでいる。強制収容所への入口だった時代は去ったものの、まだその記憶が生々しいような時代のものから、2000年代を舞台としたものまでいろんな話が揃っている。アメリカに移住した娘夫婦をマガダン在住の女性が訪ねる短編が、幸せな娘夫婦や孫娘への複雑な気持ちが良く書かれていて心に残りました。
「空港」は鎌田慧のルポだが、パイロットや整備員、管制官など飛行機に携わる人たちにインタビューした内容をそのまま書き並べている。話されている内容はそれぞれ興味深いのだが、鎌田慧ならではの批判精神は全く見られず、ただ単に書き連ねるだけで、学生でもできそうな内容。自動車絶望工場を書いた人間とは思えない。著者は飛行機が好きらしいが、自分が好きなものを対象にすると舌鋒が鈍る好例ではないか。
「多数決」は、単純多数決がもつ欠点と、それを補うものとしての様々な手法を紹介している。3人候補者がいれば、1位に3点、2位に2点、3位に1点をつけてそれぞれ投票するとか。結構内容は難しいが、単純多数決ではなくてそのような手法を実際にとっている国もなくはないらしい。
「コードネーム・ヴェリティ」は第二次大戦中にドイツ占領下のフランスに潜入して囚われた女性無線電信士を題材にした小説。イギリスから、夜にフランスまで飛行機を飛ばし、レジスタンスの支援や人の行き来を密かに行っていたらしい。ゲシュタポの拷問の様子などおぞましいが、これがヤングアダルト文学として欧米で読まれているんだとか。

最近のもの

「最後の戦犯死刑囚」はオーストラリアの戦犯裁判で処刑された西村中将について。シンガポール攻略の際に近衛師団を率いたものの、その後予備役になっていた中将が、自身の記憶もないようなマレー半島作戦時代のオーストラリア兵士処刑問題の責任をとらされて処刑されるのが理不尽といえば理不尽。本当に責任をとるべきだったのは誰だったのか。そういったことを、処刑に立ち会った教誨師の日記をもとに解き明かしていく。囚人一人一人に丁寧に向き合い、死刑の執行の際には立ち会い、記録を密かに残した教誨師はすごいと思う。
「密着最高裁」は新聞記者が最高裁の最近の判例を紹介する本。お気軽に読めるが、夫婦別姓の問題に対する女性最高裁裁判官の意見を紹介したり面白い。
「廃市・飛ぶ男」は福永武彦の短編集。表題にもなっている「廃市」は、運河が町の中を流れる町で学生時代の一夏を過ごした男が当時を思い出すもので文章が美しい。また「未来都市」という作品は、町の中心から電波が発信され、住民の全ての負の感情がなくなるというユートピアを書いていて動物農場を思わせる。
「ミルクと日本人」は、明治以降の牛乳の普及の様子が丁寧に書かれている。芥川龍之介の実家は築地で搾乳業を営んでいたりとか、野菊の墓伊藤左千夫錦糸町付近でやはり搾乳業を営んでいたりしたらしい。次第に都心では乳牛の飼養がしづらくなるとともに、衛生基準の制定により、ある程度の設備が必要となったことから、徐々に分業が進んでいったようだ。今の仕事にも関係がある話で面白かった。
ナチスの戦争」は、副題にもあるとおり第一次大戦が終わってから東西ドイツが建国されるまでの間のことを書いている。戦争終結までの話もそうだが、ドイツ本土での悲惨な敗走体験がドイツ国民共通の認識となり、自分たちが被害者であるというような意識が産まれたという戦後ドイツについての指摘が興味深かった。近代的な産業国家が、自らの首都まで攻め込まれ、首脳陣が軒並み自殺するなり捕縛されるまで戦い続けたのは第二次大戦のドイツだけ。一度始めた戦争を止める仕組みがなかったのがその原因だとか。